京都発・ママたちによる福島こども応援プロジェクト | ミンナソラノシタ
東京電力福島第一原発事故の影響で、生活環境が変化した福島県の幼稚園児と母親を京都に招き、3週間生活してもらう取り組みです。
滞在中こどもたちには京都の幼稚園に通園し、新しい京都のお友達と自然に触れ合いながら思いきり外遊びを楽しんでもらいます。
福島での放射性物質の拡散と土壌への沈着の程度は健康に影響ないと言う意見もありますが、長期的な低線量被曝の人体への影響にはまだ不明な点も多く、「見えない不安」にストレスを抱えながら、日々の子育てに奮闘している福島の母親は少なくないようです。
幼稚園留学は、そのような福島のこどもや母親たちが京都で3週間過ごすことにより心身ともにリフレッシュできることを期待して行っています。
また、幼稚園留学を受け入れる側の京都の私たちにとっても、福島の生の声を聞き、現状を知り、被災地に心を寄せるきっかけにもなり、防災意識も高まります。
そして最大の目的は、福島の母子と京都の母子・地域の方々が友人になることです。
しかし、「幼稚園留学」に参加するためには3週間家を空ける必要があるため、小学生以上の兄姉がいたり、共働き家庭の方などは参加することが難しく、また福島から京都への交通費や宿泊費が1家族あたり約30万円かかるために希望者すべてをお招きするのが難しい状況です。
そこで、福島近郊の放射線量の低い場所に宿泊・自然体験施設「ミンナソラノシタこどもの家」を設立し、運営することを目指しています。
こどもの家の候補地は周辺の放射線量を計測し、こどもが触れる可能性のある土や葉っぱや川の水なども検査に出して計測してから決定する予定です。
「幼稚園留学」や「こどもの家」は「保養」のひとつの形です。
チェルノブイリ原発事故後、被害の大きかった隣国ベラルーシ共和国ではこどもたちが3週間以上放射線量の低い土地に滞在し、健康的な食事をとることで心身のリフレッシュを図る「保養」が生まれ、30年以上経った今も国策として続けられています。
被災地のこどもの心身を休ませたり、震災の影響でできなくなった体験の機会を補う「保養」は東日本大震災後、全国各地で始まりました。
当初は震災関連の助成金や補助金などもたくさん下りたために活動は活発でしたが、打ち切りと共に減少に転じます。
しかし、10年経つ今に至ってもなお、公園などこどもが遊ぶ場所の地中に除染土が埋められている場合にも、住民に知らされていないケースがあるなど、母たちを不安にさせる状況が残っています。 しかし、気にしていたらここでは暮らせないという人たちに加え、震災当時まだこどもを持っていなかった若い世代の親が増えたこともあり、現地でもこの問題への関心は薄れつつあるようで、不安を持っている人はさらに少数派になってしまいました。
不安な母たちの拠り所として、なんとしても保養を残していきたい!それが私たちの願いです。
細胞分裂が活発なこどもほど被曝の感度が高いとされています。
しかし、年間被曝限度量・食品中の放射性セシウム規制値は震災後に大幅に引き上げられ、大人と同じ基準がこどもにも採用されています。
福島県の小児甲状腺がんの患者数は230人を超え(2019年)、それは他地域の20−50倍にもなります。
国は「原発事故による健康被害は今までもこれからもない。」と言う見解を示しています。しかし実際には、長期間の低線量被曝が健康にどんな影響をもたらすかはまだはっきりとはわかっていません。
生活環境の除染はある程度すすみましたが、ところどころに放射線量が高いホットスポットが今も存在しています。
側溝や植え込み、雨樋の下など、こどもが好みそうな場所の線量が高い傾向があります。
公園や校庭などは除染されていますが、山は手つかずです。そのため雨や風などの影響で、除染した地域でも再び線量が上がってしまうことがあります。
福島では、放射能に不安を感じていてもそれを口にすることは難しいそうです。
「国も安全だと言っているし大丈夫。」
「本当は不安だけど考えたくないから言わないでほしい。」
「復興ムードに水を差さないで。」
いろんな考えや価値観の人がいます。
せめて心配事を共有したり相談できる相手がいれば、救われる人がいるかもしれません。
幼稚園から帰宅したこどもの靴に砂が入っていたことがとても嬉しかったです。
遠く離れた京都の人が今も福島を思ってくれている、忘れないでいてくれているだけで感謝です。これからも忘れないでいてほしいです。
放射能の心配をしないで暮らせることがこんなにも幸せなのかと、「当たり前のこと」を実感しました。